Napの考えること

by Nap-takemura

宿命。

考えること(その42)


いまさらですが、2009年12月26日付の朝日新聞に精神科医の春田武彦さんという方の、「無力感は人間の宿命です」と書いた記事が載っていた。いまも印象に残る記事でしたのですこしここでご紹介したいと思います。

その内容は、「人の行動原理や感情の多くは無力感に根ざしている。親の期待に背いたり、目標達成できなかったりすることで心の中に自己嫌悪や罪悪感が派生する。それにより自分を肯定できなかったり、逆説的に自分をいとおしく感じたりすることが心の複雑さを作りだす」。

さらに続けて、「不安感は無力感から導かれるものです。各個人がいかに無力感を手なずけ、押さえつけるかという方法や成果によって、同じ状況下でも不安の覚え方が違うのだと思う」。

またその対抗手段として有効なのは、「高望みしない、手近なところで幸せをみつける、分をわきまえること。ただし、その背後には断念や諦観があるのかもしれません」と結んでいた。

この記事冒頭の、「無力感は人間の宿命です」という言葉にはインパクトがある。一瞬、後ろ向きな言葉に聞こえるが、この言葉の後には、「だからこその・・・」と続く気がした。

さて、もうすぐ4月です。出会いや別れの時期。いろんな思いに心が揺れる季節。こんなときは何気なく耳に入る歌の歌詞がふっと心に染みたりする。そんな歌がつくれたら幸せ。

歌をつくる人間としては先の文にある、「無力感を手なずける」手段として、歌づくりはとても有効だ。それがたとえ一時のことだとしても。その小さな時間のつながりが時を重ねているのだから。

いろんな思いを持った人たちがステージに立ち。同じくいろんな思いを持った人たちがそれを聴く。やはり音楽はいいなと改めて感じる今日この頃。東横線に乗った際は、ぜひ「日吉Nap」を思い出してください。そしてすこしの時間、同じ空間を共有できたら幸せに思います。スタッフ一応お待ち申し上げます。
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# by Nap-Takemura | 2010-03-07 11:08

ヒット曲。

考えること(その41)


新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い申し上げます。

さて、今回は「ヒット曲」について考えてみたいと思います。

そもそも、ヒットする歌とはなんでしょう。古くて新しいもの。聴いたことのない世界。感じたことのない風。そんなこんなを含んだ歌とでもいうのでしょうか。その括り方は人それぞれ。それを意識してつくりたいと考えるのがプロの現場の方々。僕も一時期なんとかそんな歌ができないものかと奮闘した頃があります。しかしそのヒントさえつかめない始末でありました。

世の中にはビートルズをはじめとする抜き出た才能の持ち主がいるもの。そんな彼らも最初は好きなミュージシャンの真似事から入った。ディランもストーンズも然り。入り口はそこだが彼らにできたことは、「古くて新しい」ものをつくるセンスがあったということ。

一方、ヒット性は抜きに、オリジナル性だけを強く打ち出すことは容易い。アマチュアたる所以。しかしたくさんの人の耳に届くことは少ない。ファンがふえてこそのプロの世界。それを考えるとむつかしいものがある。「古くて新しい」の片方。「新しい」だけの音楽の世界。

日本の音楽シーンも様変わりして、ヒップホップやブラックミュージックに日本語をのせるなんてあたりまえ。しかし残念ながらそこにはオリジナル性が乏しい。新しい何かを感じさせてくれない。時代にもまれ、気づいたら新しいジャンルと云われる。そういう音楽にはなかなか出会えない。

では、リスナーはどうだろう。多くの人はこんな理屈をならべて聞いたりはしないだろう。時代の空気に溶け込む歌はヒットの要素をある程度満たしている証拠。ここがミソ。

作り手としてはすこし自分を突き放して見る目が必要。自分の世界観を映しつつ、時代の空気も感じながら。そんな曲作りができたらと考える。プロの世界ではそれを果たす役目としてプロデューサーやディレクターがいる。アマチュアのミュージシャンはそれを自分で果たすしかないから悩ましい。

成功を手にするミュージシャンの多くはアマチュア時代にすでにこの両方を備えている気がする。もちろんいろんな書き物を読んでの感想ですが。生まれついての才能に恵まれた方なら別だがこれを磨くにはたくさんの音楽やライブに触れるしかないかもしれない。

ヒット曲。アマチュアにとっては代表曲とでもいうのか。世に出るためのひとつの武器。一度聞いて耳に残る歌。それが多くあれば多くあるほど良いに違いない。多くの人に知って覚えてもらうためになくてはならないツール。そのアーティストの入り口に立つ門のようなもの。そう思ったりもする。

今年が皆さまにとってすばらしい年になりますように!
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# by Nap-takemura | 2010-01-03 13:00

変遷。

考えること(その40)


人にも変遷があるように、歌にも変遷がある。「恋愛」、「生と死」、「欲望」。これらは歌のテーマとしてよく扱われる。僕が初めてつくった歌は窓の外に見えるカラスの歌。シンプルだけが取り柄の未完成な歌。その後はほとんど恋愛の歌が中心。実体験というより背伸びして、かっこつけて、なんてものが多い。しかしそんな歌でも自分の心情が映し出される。それを見つけた気になる時がある。だから歌づくりはやめられない。

二十代後半からぼんやりと「生と死」をテーマに歌をつくりたいと考えた。Napの出演者もこれをテーマにした歌が最近多い気がする。時代なのかもしれない。歌の切り口は星の数ほどある。同じテーマでも考え方の違いや思想のようなものが見えてくる。これもライブのおもしろさのひとつでもある。

そして、「欲望」。僕はいまこれをテーマに歌をつくれたらと考えている。何かつくれば何か見えてくる。歌づくりの理由はいまも変わらない。解らないから歌にしてみる。答えがないから歌にする。頭では解けないことだから頭では考えない。歌はそれに応えてくれる。出来不出来は別として感性にまかせられる。子供が積み木するのと同じだ。

プロになったら好きな歌が歌えない。つくれない。誰かに指示されたくない等々。よく聞く話。僕の好きな某有名ミュージシャンはいわゆるオファーされた作品が代表作となっている。同じ例の歌にたくさん名作がある。つまり余りある才能(もちろん努力も含むけど)は対外的なプレッシャーを超えてしまうということ。そんなタフなアーティストに憧れる。同じプロでも様々だ。答えはひとつではない。自分のめざすプロになればいい。

歌は数学のように答えはひとつではない。「恋愛」、「生と死」、「欲望」に正解はない。その正解のなさに歌の魔力がある。自分の考え方、やり方、表現の仕方、そしてできれば外に向けて。エンターティメントのひとつとして客席にまるごと届けられたらと思う。それが達成できたらきっと幸せだ。つまり僕はまだ達成していないということですが・・・。
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# by Nap-takemura | 2009-11-02 09:17

声。

考えること(その39)


とにかくCDショップでは試聴しまくる。片っ端からノンジャンルで聴きまくる。気になる音は予算が許す限り購入する。こうして新しい音楽になるべくアンテナを張るようにしている。自分の曲作りの参考にもなるし時代を感じることもできる。

僕の場合、試聴の際、その良し悪しを決める最初のチェック項目が声。次に全体のサウンド処理。これで決める。そう考えると自分の声はどうなのかということに突き当たる。一時期その自分の「声」にずいぶんてこずった。いまもそうともいえるが・・・。

歌をつくるとき今度はこんな曲をつくろう、とか考える。でも実際に始めると簡単ではない。音楽に携わる方はきっと同じ経験があると思う。結局出来た歌は最初の目論見と違ってしまうことが多々ある。まあ、それでもなかなか良いではないかと思えばしめしめだ。で、ライブで歌ってみる。ちょっと違うなあ、なんて歌は再度練り直す。そうやって何度か手直しをしつつ結果自分のレパートリーに加えられたらメデタシメデタシだ。

このとき自分の持ち歌として残るものはやはり自分の声を活かせたものが多い気がする。これはあくまでシンガーソングライターとしての曲づくりでの話。作家志望であれば話はまたぜんぜん違ってくる。

個人的にはミックジャガーの声やピーターガブリエル等々の重厚な声が好み。こういうのを、「ないものねだり」というのでしょう。自分の声はどちらかといえばその反対側の方に位置すると思うので。だから余計ハスキーで渋く適度な重さを感じさせる声に魅力を覚える。

ある時期それに気づいて、自分の声を一番活かせる歌を書くしかないなと考えるようになりました。しかしこれもまたむつかしい。自分のやりたい方向性をめざし、且つ、自分の声を活かした曲づくり。それには自分をプロデュースする感覚が必要。自分の良さを客観的にみつけることのなんとむつかしいことか。その試みは今も続いている訳ですが・・・。

そしてできればヒットする歌をつくりたい。多くの人の耳に届くためにも。「YouTube」にしろ「MySpace」にアップするにせよ、まずそれが必要だと。誰しも考えていることなのでしょうが。ライブをやるからにはできるだけたくさんの人の前で演奏したいし、聴いてもらいたい。名前も知ってもらいたい。そう思うのが自然だ。

もっとクオリティを上げたい。そのための演奏力、歌の表現力、魅力があってオリジナリティ豊かな楽曲。この三つはまずはずせない。それがあればギター一本の歌だって充分心揺さぶられる。そのためにはもちろん努力も熱意もなければ到達できないわけで。その気持ちがあるうちは可能性を捨てたくない。そう思うアーティストは多い。そんなことを感じる今日この頃です。
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# by Nap-takemura | 2009-09-03 06:51

テストパターン。

考えること(その38)


時計を見ながらあることをする。なんと時間の経つことの早いことか。カレンダーも4月も半ば。もうすでに一年の三分の一が過ぎようとしているのだ。少々焦る。

ときどきTVでドキュメンタリー風の番組を見る。その主人公の大抵の人間も同じく時間に追われ(いや、追われすぎている)ている様子がよく分かる。確かに自分と違うのはその頭と体の使い方。彼らの日々は行動に重心を置いている。自分になくて彼らにあるもの。もちろんたくさんあるのだけれど。まずはその時間の使い方がすごい。すこしなら真似られるかもしれない。早速単純なぼくはひとつのテストパターンのつもりでそれに挑んでみることに。

まずは一日24時間の内の1時間を使うような気持ちで。そう考え行動に移してみる。これも物理的な問題、選択の問題なのだ。そう心に言い聞かせて。あれをやめてこれをやる。そんな感じだ。数日実行してみた。結果、目に見えて変わるものは何もないけれど気持ちが変わる。良い兆候。あとはどれだけ続けられるのかだけ。しかしそこが一番肝要であり壁でもある・・・。
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# by Nap-takemura | 2009-04-16 12:27

トライ。

考えること(その37)


どれくらいのミュージシャンが夢見ているだろう。あの憧れのステージに立ちたい、あのヒットチャートに名前を載せたい、あの音楽番組でインタビューを受けたい、あのCDショップで華やかにポスターを飾りたい、等々・・・。だけれどそれを果たせる数が物理的に決まってしまうのも確か。すべての才能あるミュージシャンがそれを得ることはできない。だから人はあとは「運」だけという。運をつかむ方式はもちろんなくそれをつかんだ人の話にも方程式はない。だから運というのだろうが・・・。しかしその夢物語に向かっている人は幸せであることもまた確か。夢があるということは目的があるということ。すくなからず意味のある日々を送っているということ。こんなことを書くとなにやら理屈っぽい文章になりそうだなあ・・・。ではちょっと横道にそれてみましょうか。

さて、Napで長い年月続けて出演しているアーティストも実は少なくない。考えてみると彼らにはひとつの共通点がある。それは常に新しい曲をつくり続けているということ。毎回新しい気持ちでライブを行っているという点だ。今日初めてNapに出演するアーティストとなんら変わりない。それは古い皮膚を脱ぎ捨てて新しい皮膚を身に付ける生き物に似ている。常に活性化されてゆく状況。これならマンネリする状態にはなるはずもない。それを才能といってもいい。続ける才能とはよくいわれるが、それは言い換えれば、才能がなければ続けられないともいえる。

しかし音楽で有名になりたい、それでいつか飯を食っていきたい、ただただそれだけを願い、音楽活動もそれだけに集約されていくとどのみち行き詰まってしまう。本人も気づかないまま音楽というものに縛られた人生にさえなる。純粋にもう音楽を楽しめない状態。それはちょっと哀しい。僕にはそんな時期があった。本当のプロのミュージシャンと自分の違いは何かと。才能なのか人間性なのか、はたまた「運」であるのだろうか等と。しかしそれ自体考えることはやはりナンセンスなのかもしれない。

ただ、先に紹介した彼らにはチャンスがあるといえる。続けられる才能があるということはプロとして必須条件のひとつだと思うから。最初は誰しもがみんなずっと音楽を続けていこう考えて始める。しかし何かしらの理由でいつしか音楽から離れてしまうことが多い。それが現実。

もし、いまライブを楽しめないと感じる時があるとしたなら、それは目的(ただプロになりたいというだけの)だけに縛られている状態なのかもしれない。だとするならそれを克服するためのやり方はたったひとつだ。自分の音楽ともう一度きちんと向き合うしかない。人を感動させる音楽を自分は創れるか。自分の表現したいかたちにできているか。そして相応の評価をもらえているか。そんなことが次へのステップになるような気がする。なんにせよトライあるのみ!
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# by Nap-takemura | 2009-03-19 06:34

お米。

考えること(その36)


いまや俳優としての名前の方がしっくりとくる「泉谷しげる」。その彼が1975年に井上陽水、よしだたくろう、小室等らと立ち上げたのがフォーライフレコード。そこの第一弾アルバムが泉谷しげるの「家族」だった。生々しいギターの音色。余計な装飾の一切を削ぎ落とした勢いのあるアレンジ。そしてなんといっても泉谷しげる独自の詩の世界。ラスト曲まで一気に聴かせてくれる。やはり邦楽の肝は歌詞だ。日本語が言語として違和感なくメロディに乗り、しかも言葉が音楽だからこそ生きてくると思わせる歌詞。母国語の音楽の強みはそこが大きい。このアルバムは基本的にはフォークだがジャンルを越えた迫力ある音がぎっしり詰まっている。どれもこれもギター一本で充分成り立つ歌ばかり。ご飯でいうところのお米のように一粒一粒が立っている。光っている。それが達成されている。だからおかずは邪魔さえしなければなんでもいいのだ。まずいはずがない。ビートルズやディランの歌がそうであるようにもう最初の数秒で持っていかれる世界。すばらしい音楽はそこらじゅうにころがっている。
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# by Nap-takemura | 2009-01-19 10:29
考えること(その35)


新しい年が明けました。今年もよろしくお願い申し上げます。皆さまは新しい年を楽しく迎えることができたでしょうか。

さて、もう早、2009年1月も中盤となりました。世の中もだんだんと通常の生活状態になりつつあります。この不確かな経済状況や政治状況を考えるとき明らかに去年と同じ気持ちではいられないとも感じます。しかし僕自身は音楽で癒される自分はこれまでどおりなんら変わりないようです。街に出ればCDショップに足を運び試聴機に耳を傾けます。これと思ったものはつい衝動買いをします。音楽雑誌も目について気になるものは手に取ります。もちろん一番リアルなものはやはりライブです。そのすべてが広い宇宙のようにどこかでつながっているのを感じます。自分も音楽を続けていこうと思ったりします。新しい歌をつくろうという気持ちにさせられます。誰かにすこしでも感動を与えられたらどんなに幸せかと考えるのです。

うまく伝えることがいつもできないのですが、音楽はたったひとり部屋で歌っても何万人もの前で歌ってもその力の大きさは変わりありません。その人個人にとっての大きさは変わらないものだと思います。そしてなによりも音楽は自分をも癒してくれます。だからどんなかたちであれ、音楽を続けられることは幸せなことです。状況が変わっても、どんなかたちであれ音楽を続けることは必要不可欠なものだと感じます。言葉にできないものを音楽で表現できたらと強く思う今日この頃です。

相変わらずまとまりのない文となりましたが今年が皆さまにとってすばらしい年となりますように! そしてまたすばらしい音楽とたくさん出会えることを心から願っております。本年もよろしくお願い申し上げます。
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# by Nap-takemura | 2009-01-13 23:37

良いお年を!

考えること(その34)


2008年最後のこの日。あと数時間で2009年。今年もたいへんお世話になりました。この仕事をしていると世の中の状況がひとつ別のところで流れている気がすることがあります。それは創造的人々が音楽というもので表現する場所にいるからでしょう。しかしひとつドアを開けて外に出ると世界はリアルにひしひしと押し迫ってきます。何を基準にするかは人それぞれですから、僕もまわりに惑わされないように、変わり続ける世の中の基準とは比べねえぞ、と自分に言いきかせています。そうしないと自分の中の軸のようなものがずれていく気がします。昨年母を失くし自分の寿命というのを考えました。人の命の重さは思った以上に重く、心は簡単には癒えないことを知りました。誰にも読めない命の長さなら一喜一憂することもなんだか馬鹿らしいなとも考えもしました。いまは足元をしっかり見ながら、だけど気持ちはずっと先を見ながらというのが楽に思えます。そして来る2009年を何年か先に振り返ったとき「自分らしく過ごした」と思える年にできたらと考えます。みなさま良いお年をお迎えください!
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# by Nap-takemura | 2008-12-31 15:52

師走のど真ん中に。

考えること(その33)


今年ほど世界経済が大きく揺れた年はないのだろう。なにせ100年に一度といわれる不況ともいわれているのだから。上半期に上昇気流に乗っていたはずの多くの企業にも軒並みリストラや倒産の文字がおどる。まことに恐ろしい時代だ。企業の大小に関わらずどの世界も厳しいのが現実で、それは日々様々な場面で感じることも多くなった。こんな時は、軒先で日だまりに抱かれまどろむ猫のように「そんなの関係ねえぜ」という態度で過ごしたいものだ。

残念ながら人間にはそんなつるつるの感情は持てないのである。自由であるということはやっかいなものだ。猫にどのように生きるかなど選択の余地はない。しかし人間だけに与えられたこの自由は選択の連続が続くことでもある。生まれ落ちた環境がどうのこうのという声も聞こえてきそうだが、そうじゃないことは多くの偉人達がすでに証明している。この選択ということをこの師走のど真ん中で今回は考えてみたい。いやもっと単純に生きるということを考えてみたい。

この世知辛く窮屈で不平等な国の様相はきっと変わっていくだろう。同じ状況をつないでいくものなどこの世にはないのだから。いまたとえば不治の病に侵されてしまった人がここにいるとする。そこでその人はもう生きる意味がないと床に伏すのか、それとも前を向き直して残りの日々を懸命に生きようとするか。このふたつの間には月と地球ほどの距離がある。

このことの大きな違いは、「希望」を持つか、持たないか。それにつきる。希望を持つということは「信じる」ということ。信じるということは生きるということ。それと同意義だと僕は思う。逆説的にいえば、信じないということは生きないと同じ。命があってもきっと生きていくのは辛いだろう。何も信じず、希望を持てない今日を生きるということはなんと空しく辛いことかと思う。何のために今日生きるのか。誰のために自分は生きているのか。誰がこの自分という存在を必要としているか。それが見えなくなる日々。その辛さは人間には耐え難いはず。

だからむしろ僕は信じる道を選びたい。希望を持つ道を歩みたい。誤解をおそれずに言うならその道を選ぶことの方が楽だと僕は思う。明確で一筆書きにできるりっぱな「希望」などというものでなくていい。もっとシンプルに「明日はきっと変わる」という希望だけで充分だ。それはただ信じること。なにも宗教的なことや哲学的な話ではなくて単純にすべては変わるのだと僕は信じたい。そうやって生きていけたらと思う。良い時も悪い時も平凡な時も過去に一度として同じ状況が続いたことなどなかったのだから。そう自分に言い聞かせている。ボブディランも歌っている。「時代は変わる」と。
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# by Nap-takemura | 2008-12-15 23:34