Napの考えること

by Nap-takemura

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小さな宇宙。

Napの考えること(その31)


ギターを抱え、ピアノの鍵盤に触れ音を奏で歌い、自分の創りだした宇宙で漂う。そんな小さな快感を知るとき人は音楽の魅力にとりつかれるのだろう。しかし、その音楽も思うようにならなくなり、初期衝動も忘れるほど情熱を失うには様々な要因が関わってくる。そんなとき解決の糸口のひとつになるものは、「自分に正直になる」ことなのかもしれない。

僕個人で言えば、未熟な演奏技術、詩のつたなさ、メロディのひ弱さ、そんなこんなを克服しようとする努力のなさ、そんなことがどんどん頭の中に積み重なってくる。まさにそういう状況が情熱を失ってきている証拠と感じるときがある。

自己表現の根っこのある一部分は「怖れ」から生まれてくるように思う。恋人を失うこと、友人を失うこと、家族を失うこと。明日の糧を失う怖れ、年を追う毎に、新しい怖れは増えてますます自分という存在の不確かさを知ることになる。そんなとき、自分のつくった歌が自分自身を救う鍵になる経験も皆さんもあるのではないだろうか。ステージで歌う音楽の存在はへたをすると自分という人間の存在より確かに感じることさえある。ちょっと言葉にするとキザないい方ですが・・・。

だから人は自己表現である絵や文章や音楽にのめり込むのだろう。その瞬間、その時間に小さな安心感を得るのかもしれない。自分という存在を意識しないまま他の存在を感じることは、虚構の世界に生きることと同じ。空に浮かぶ雲が刻々と姿カタチを変えるように僕らも一時も同じ場所にいることはできない。そんな自分の立ち位置が変われば当然に相手の視点もずれて見えてくる。そんな世の中に焦点に合わせていくことは至難の技。いやむしろありえないとさえ思う。だからこそ自己表現が生み出したものは愛しくもあり、焦点のずれないものとして自分の中に存在する。

しかし、一方でその自己表現が自分を苦しめることもある。知らず知らず本当の目的を失ったやり方をする場合に。不正直になってしまった自己表現。僕の場合でいえば、それは明らかに内に内に向かっている時。単なる自己満足の世界。それに陥っている時が多い。

最初に知った小さな快感。小さな宇宙。それを思い出すとき、いまの自分のスタンスがどの位置にあるのかを知る。これからもそうやって音楽を続けていくのか、やめてしまうのか。それは誰にも分からない。自分にも分からないし、まして他人に聞いて分かるはずもなく、自分がいつか知る道のひとつ。でもはっきりいえるのはそんな葛藤はすてきなことだ。もっと不自由で不条理で理不尽な世界はまわりにゴロゴロころがっているのだから。

結局は誰かに向けて自己表現をする、そのことこそが、「自分に正直になる」ためのリトマス試験紙の役目を果たすのではないだろうか。赤色になるのか、青色になるのか。自分の中で創ったものを一度外に放り投げ、それを自分も外から確かめる。そのことが自己表現を磨く手がかりになるのかもしれない。単なる自分だけのものから、他の視点と焦点の合う場所。それを見つけられるのかもしれない。それを達成した瞬間に立ち会えたならきっと幸福な時間を共有することになると思う。
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by Nap-takemura | 2007-05-08 14:19