Napの考えること

by Nap-takemura

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MCの話

Napの考えること(その24)


自分的にはそれなりの演奏ができているにも関わらず、MCがどうもテンションが上がらないときがある。そんなときのライブはもったいなかったなと後で思う。またこれもよくあることだが歌をうたった後(もしくはその前に)その曲が出来たいきさつを説明してしまうことがある。反省してもついやっちまうのだ。

音楽は詞と曲と楽器でいわば心と心の会話をするようなもの。それをさらに創った本人がご丁寧に説明する必要なんかない訳で・・・。リスナー側にしたらせっかくのイマジネーションが限定されてしまう。音楽本来の楽しみが減ってしまうことと同じ。

MCのうまい人、へたな人というのは確かにある。それって結局もう普段の生活でしゃべりが得意不得意という人がいるのだからあたりまえのこと。しかしいくら普段の生活でしゃべりっぷりがスムースだからって相手に良く伝わるかどうかは別問題だ。話っぷりはぎこちないんだけど言ってることはすっと胸に入ってくる、っていう人は実は多い。

ところで、さだまさしや矢沢永吉、松山千春、中島みゆき、武田鉄矢(敬称略)等々、それこそ数え上げたらきりのないくらいMCが魅力的なアーティストって多いですね。往年のファーク系の人が特に。プロはこれで飯を食っているんだという心構えが大きく違うっていうこともあるのだろうけど。

だからってプロのすべてがMCで会場を毎回ドカンドカン沸かしているわけでも決してないだろう。実際、数年前に僕が見た「ボブディラン」は、ほぼMCなしの演奏のみで2時間近いライブ中でメンバー紹介以外はたったの二回(たぶんだけど)だけサンキューという言葉を発しただけだった(もちろん異国の地だからということもあるでしょうが)。でもものすごくすばらしいパフォーマンスだった。個人的にはいまでもベスト3に入っている。

僕もたまにどうしてもMCをする気になれなくて今日は歌だけって感じでステージをすすめたりすることがある。そこで「ボブディラン」と違う(これもあたりまえだけど)ところは、会場の空気が自分が思っている以上に温まらず、演奏もカナシイことにボロイことが多い。しかもなんとか繋いだMCなのに内容が自分のお客さんだけにしか分からないような狭い話になったり。これってまるで悪い要素が過積載のよう。

そんなことを考えるにつれ、なぜ、あの日の「ボブディラン」はあんなにもすばらしかったんだろうか、と。でもその答えはたぶんシンプルなものだろう。「会場にいるすべてのお客様に心を込めて歌う」、というごく当たり前な姿勢をいつでもどこでも貫いているに違いない。

ステージコントロールがうまくできなくって話すことが何も出てこなかったとしても心さえちゃんと込めていれば、「ありがとうございます」くらいは言うだろうし、言葉で言わなくても一曲終わってちょこっと頭を下げるだけでその気持ちはちゃんと伝わるものだと思う。

あの日のボブディランの公演はいまでも思い出す。その自由な音楽性だけでなく、他の部分も含めて学ぶことが多かったかも。詞は英語だから分からなかったけど、その人生をかけてステージに立っている気迫のようなものがビシバシ伝わってきた。ハートで感じることができた。そのくらいとにかくすばらしかったのだ。

ああ、なんだかまたCDがまた欲しくなっちまった。なにしろすごい数のアルバムあるからなあ、って、これってボブディラン賛歌の話じゃなかったですね。
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by Nap-takemura | 2005-10-01 02:20